☆★☆★第13代 副将 竹田 亨先輩特集☆★☆★

編集者より
このOB会のブログではOB会自体の活性化はもとより、このブログを通じて現役とOB、そしてOB同士の交流の場になればと情報を発信しております。
今回は第三弾のOB活躍報告として第13代竹田 亨先輩の特集を報告させていただきます。

編集者(22代福家健司)より竹田先輩の紹介を少し・・
私が兵隊一年生の現役当時からすると、竹田先輩は神様の4年生のもっともっと上の雲の上の存在のような大先輩のOBでした。拳法部20周年の行事の準備の時に、4年生の先輩がもっとも怖いOBとして特に「竹田先輩にはくれぐれも失礼がないように」と幹部の先輩方が戦々恐々とされていたことを鮮明に覚えています。・・そして私自身もOBとなり、大屋監督の世田谷道院に所属をして練習をしていたある日のこと、大屋先生より「竹田が次の練習からくるぞ」と・・・どんな鬼のような(先輩失礼しました)人が来るのかと思っていたのを今でも覚えています。しかしご一緒させて頂くと、非常に優しく、後輩思いで、面倒見がよくまさに「親分」です。大先輩なのですが、今現在に至るまで、とても親しく気さくなおつきあいをさせて頂いております。
 一つエピソードも・・私、福家が2001年の少林寺拳法世界大会(フランス・パリ)に四段以上の日本代表として出場しました。その際に大屋先生を始め、夏川先輩、竹田先輩、勝田先輩など日体大関係者も多く参加をしました。大会前日、前夜祭が深夜まで行われ、帰りのバスの中・・竹田先輩が「マッサージしてやるから、こっちに来い!」と・・拳法部OB・OGの方々ならおわかりかと思いますが、9代も上の大先輩にマッサージをしてもらうなど、天地がひっくり返ってもありえない!ことだったので、恐縮していたところ、全身を丁寧にマッサージして頂きました・・涙が出るほど嬉しく、大会にかける思いをさらに強くしたことを覚えています。結果は3位入賞ということで、何とか日本代表の責任を果たすことができました。竹田先輩本当にありがとうございました。
 後で息子44代OB 竹田歩樹からのレポートにもあるますが、竹田先輩は日体大、そして少林寺拳法部を愛されています。自分のこどもを二人とも日体大少林寺拳法部?に入学させているOBは私の記憶では竹田先輩だけではないでしょうか
 前置きが長くなりました・・それでは活動報告を  

なお、この活動報告は竹田 亨先輩の息子である第44代 竹田歩樹の寄稿です。・・・行間に親子愛、師弟愛が見て取れます  Q&A形式でのレポートです。

◎大学卒業から現在にいたるまで
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大学を卒業後に東京都私立足立高校の教員となる。
この際埼玉県に引越しをしてしまい少林寺拳法から離れてしまう。
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その後足立高校、大東文化第一高校、浦和商業高校の教員、さらに地域の柔道教室の指導、
また地域ソフトボールの監督等を行っていた。

32歳の家業を継ぐために教員を辞め埼玉県から神奈川県へ戻ることになる。
35歳のときに子供と共に少林寺拳法を復帰しようと思い神奈川県で道場を探したが道場長と折り合いがつかず復帰することができなかった。
そのときに大学の監督である大屋先生に相談をしたところ「遠いいけどうちにこないか?」と言われたことから東京都、世田谷道院へ転籍し無事復帰をした。(当時三段)
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その後少林寺拳法の修行を続け、さらに全日本少年少女武道錬成大会のスタッフ、
東京都大会の審判、全国大会のスタッフ、世界大会のスタッフ等を行い
2012年12月18日に同大学のOBである勝田先輩、福家先輩と共に七段を取得した。
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また現在は、株式会社竹田工機を設立し、
各種工場のプラントの設計、設置、メンテナンス等の仕事を行いつつ少林寺拳法を修業している。
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◎大学に入ろうと思った動機
高校時代は柔道部に所属していた為に日体大に推薦されたのがきっかけである。
本人いわく、「持病の脊椎分離症の為にこれ以上柔道を続けることが困難になってしまったが教員になる事を諦めきれず日体大に入学をした。」とのことです。

◎少林寺拳法部に入部した動機
柔道が続けられなくなり、どの部活に入ろうか迷っていたが、当時の少林寺拳法部には高校のOBの先輩や同期が多くいた為、話を聞きに行ったらその場で入部をさせられたそうです。

◎当時の部活はどのような事をしていたのか
当時は乱取りが全盛期で、体が大きかった乱取り要因にさせられいたようで、当時も演武も大会はあったが乱取りの試合しか出ることが出来なかったようです。

◎上級生になってからどのように部活動を見ていたか
当時はひたすら強さを求め、日体大の他の武道と交流をしたり、大学以外の道場にも行ったりしていたそうです。
いろいろもな問題を起こして少林寺拳法部を活動停止にしてしまったこともあり、
「後輩には迷惑をかけた」と語っていました。
後輩に迷惑をかけてしまった分、精一杯指導をしようと思っていたそうです。
その後、松田先輩、久保先輩が全日本学生大会で最優秀賞を獲得した時は「涙が出るほどうれしかった」と語っていました。

◎社会に出て少林寺拳法部で養ったものがどう活かされているか
「仕事にも日体大、また少林寺拳法部としてのプライドを持って今も生きているし、またそれを活かして地域の生涯体育(ソフトボール等)に貢献しています。」

後輩の、松田先輩に聞いてみました
この取材をしていた時に松田先輩に連絡を取り当時どのような先輩であったかを聞いてみました。

松田先輩は「ハチャメチャで怖い人だったけど、部活以外でヤキとかはやられたことはなくて、そのかわり練習中にボコボコにするような人だった。良くも悪くも話題になる人だった。」と語っていただきました。


息子、娘からみた父親とは。 
41代OG 竹田 早
 父が七段を受験することになり、毎日練習をしたり、勉強をしている姿を間近で見ていて、長く続けることの大切さを娘の私もあらためて感じさせられました、かなり緊張していたようですが、周りの方々に支えられ無事に昇段することができ、家族みんなで喜びあった事を覚えています。
 父自身も仕事のあいまをぬっての受験で、大変な時期もありましたが世田谷道院や日体大で練習をしたり、現役の学生達にもお世話になったし、また信頼できる道院や日体OBの方々と、一緒に受けることができ、とても心強よかった事と思います。
 私にとっても大好きな先輩方ばかりだったので連絡を受けた時には家族のようにうれしい気持ちでした。そのような気持ちになれたのも、チャランポランな私が日体大少林寺拳法部に入り、力不足ではありましたが、たくさんの経験をさせて頂いた事、沢山の先輩方、仲間と出会うことが出来たからだと思っています。そして、そのような場所に導いてくれた父に、私も弟と本当に感謝しています。 
 父の大きな背中にいつも助けられ、守られ、時にはお尻をたたかれながら、私たちのことを大切に考えてきてくれました。
 幼稚園で長く勤められてこれたのも日体大少林寺拳法部での学びがあったこそだとあらためて感じる日々です。嫌々ながらも(笑)入部して良かった!と今は本当に思っています。
日体大を心から愛している父です。弟を含め、竹田家を今後ともよろしくお願いいたします。

 44代OB 竹田 歩樹
 正直なところ父が七段を取るところまでいくとは思っていなかったのが本音です。
父は大屋先生を心の底から尊敬しており、本当に修業を再開するときも世田谷道場に転籍することにならなければここまで来ることは出来なかったと思います。
時間はかかりましたが継続して修業することもできたと思うし、七段を取ることが出来たのだと思います。
 また、父は日体大少林寺拳法部をとても愛しています。
当時、父の直の後輩にあたるOBの先輩方には大変迷惑をかけたとは思いますが、それも愛あってのことだと思いますのでどうかお許しを・・・・
 今はもう丸くなったので今でも昔のイメージのある先輩方は会う機会がありましたら一度声を掛けてあげてください。(もうそんなに怖くないので)

竹田先輩より、最後に学生に一言
「本当の強さを求めてください」

文責 福家