☆★☆★ 師匠 大屋昭夫先生 を偲ぶ ☆★☆★
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編集者より
大屋昭夫監督が50年にわたり「扇の要」となり監督をしていただいたので、日体大少林寺拳法部は、ここまで一枚岩で発展してきたことが再認識できました。50代のどの代も「師匠は大屋昭夫監督」と自信を持って言い切れるところが日体大の強さであり、誇りとすべきことだと改めて、痛いほど、感じました。

各代より追悼の言葉が寄せられておりますが、第一弾として掲載させていただきます。
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第5代 中根 宏先輩(初代 OB会長)
「先生はおやじでした・・。
第1回のOB会は土浦で実施しましたが、土浦のボロ旅館まで来てくださいました・・。」

第5代 夏川 勉先輩 弔辞より抜粋
「お礼の言葉
 昭和45年3月、日本体育大学を卒業し、郷里新潟に帰省し高校教師としてスタートを切ることに成り、少林寺拳法不毛の地であったので、親父に一粒の種を蒔いて貰うことをお願いし甘えました。快く承知してくれ以来44年間、夢中でこの道の普及・振興に励んで来ました。先生を親父と呼べるのは私位と自負して居ります。正に巨星が墜ちたとはこのことでしょうが、悲しんでばかりは居られません。優れた指導者であり偉大な教育者であった先生の教えを全国各地の卒業生500余名は実践し、精進してゆくことを誓います。向う側で好きな酒を内山滋先生や梶原道全先生と酌み交しながら楽しくお過ごし下さい。長い間ご苦労様でした。そして本当にありがとうございました。お礼の言葉に代えて弔辞とさせて頂きます。」

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第8代 土屋義晴(前OB会長)
「大屋先生を偲んで
大屋昭夫先生にお会いしてから45年の年月が流れました。
日本体育大学少林寺拳法部に入部してすぐに歓迎乱捕りで出迎えられ、毎日突き蹴りの基本練習、胴を着けての突き蹴り、胴を着けての乱捕り、どうしたら守れるか、どうしたら相手を倒せるか毎日考えながら練習していたのを思い出します。柔法の練習はというと大屋先生が来た時ぐらいでしたが、大学1年の立場では大屋先生から直接教わることは数少なく、ましてや直接会話を交わすことなど出来ませんでした。
昭和46年に念願でありました日本体育大学学友会少林寺拳法部としての運営が許可されました。部に昇格した以上は、練習はもとより金銭の確保など、やることが沢山ありました。部室も戴いたので大屋先生に紹介していただき、深川道院の初野道院長に部の看板を作成していただき、大屋先生の心情の一つでもありました「平常心」を染め抜いた部旗は、墨田道院の勝田道院長に作成していただきました。現在も受け継がれ、日本一の少林寺拳法部の象徴として存在してくれています。
大学入学当時の先生は、41歳位の時で血気盛んな時でしたので今では想像もつかないと思いますが、子供のようなところもあり気が短くて我侭で強情な方でした。しかし義理人情に厚く、少林寺拳法の技術は勿論ですが、人としての生き方、人を育てる大切さ、人との縁の大切さなどご自身の経験を踏まえて指導してくださいました。人の生き方は良い加減が一番。自然体で生きるべきだと教えられ感謝・感謝です。第35代主将であった息子裕嗣及び家族一同公私共にお世話になり本当にありがとうございました。半世紀50年築き上げてこられた大屋先生の教えは、日本体育大学少林寺拳法部に受け継がれていきます。安心して長男光(あきら)君と共に安らかにお眠りください。」

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編集後記
夏川先輩の弔辞にもあったように、大屋先生の教えを受け継いでいくためには、悲しんでばかりはいられません。現役・OB・OGが今まで以上に「一致団結」し、邁進していくことが大切です。天国の大屋先生に喜んでいただくためにも、それぞれの立場で「日体大少林寺拳法部」と「大屋昭夫先生の弟子」としての看板を背負い、一所懸命に日々過ごしていくことが何よりの供養だと感じました。

追伸 会員の皆様へ
各代で大屋先生との写真、追悼文等ありましたら、編集者 福家のところまでお寄せください。(OB会費案内に連絡先を載せてあります)


文責 福家健司